歴史を卒論のテーマにするときに史料はどう使えばいい?

2016-09-09

卒論のテーマを選ぶときに歴史に関連するものを選ぶ人は多いと思います。「歴史が好きだから」「先生に言われたから」「せっかく書くなら興味のあることがいい」など、様々な理由があるでしょう。
歴史系の学科であればもちろんのこと、社会史や政治史、経済史などの形で歴史と関わるテーマで執筆することもあります。

歴史をテーマにした研究と切り離せないのが史料です。
古代史であれば遺跡などから出てくる生活の痕跡、中世以降であれば当事者の日記などがそれに当たります。

執筆にあたってこうした歴史的史料をフェアに扱えるかどうかが、卒論の説得力の有無を決定する重要な要因になるでしょう。
その際、意識するべきは「対立する内容のものにも目を配る」ということです。

今回の記事では、二・二六事件をめぐって当時の将校たちが決起に至った理由に関するいくつかの手記や回想を見ていきます。

決起将校の一人である山本又は決起の趣旨を次のように回想しています。

 我が国が神州である所以は、万世一神である天皇陛下の御統率のもと、国を挙げて一体となり、生々化育を遂げ、ついに八紘一宇を成し遂げる国体にある。(中略)
 しかし、このごろ、ついに不逞凶悪な輩がむらがり出て、私心私欲をほしいままにし、天皇陛下の絶対的な尊厳を軽視して、身分を超えたおどりたかぶりを働き、万民の生々化育を阻害して、塗炭の苦しみにうめかせている。そのために外国に侮られ、内患が囗を追って激化している。
 いわゆる元老・重臣・軍閥・財閥・官僚・政党らがこの国体破壊の元凶である。(山本、2015 pp.16,17)

この回想文からは、天皇への強い忠誠心とそれを侵すような元老、重臣たちへの憎悪が読み取れます。

また二・二六事件の際に警視庁襲撃に参加した赤松金次郎氏は次のように述べています。

 士官学校では天皇観、国体観というものを徹底して教育されるわけですが、その中心になる概念は一君万民、君民一体ということでした。
 それは天皇陛下というのは純粋そのもので、すべての国民に対して一視同仁でいらっしゃる。すべての国民に対してわけへだてのない御仁徳を施されるから、現人神であらせられる。だから、天皇のためにいつでも欣然として死ねるんだ、という信念を植えつけられて将校になってきたのです。(新人物往来社戦史室、1995年 p.167)

二人の人物の経験からは、彼らが天皇への忠誠を持ち国を守るために進んで決起へと向かったことがわかります。

これらに対して、首相官邸や朝日新聞社の襲撃に加わった池田俊彦氏は少々異なった心理状態だったようです。

 決意を聞いて最初は迷ったのです。迷ったから、予科時代の区隊長だった松山大尉に相談してみようと自宅に出かけたのです。ところが雪がひどくて市電は駄目、タクシーもつかまらないので、とうとう引き返した。
 結局、誰にも相談しないで参加することにした。実際問題として、信頼もし尊敬もしていた自分の友達が「やるんだ」と胸のうちを打ち明けているのに、「お前は行くのか、しかし、俺は行けない」と見殺しにするような冷淡な態度をとるのはできないことです。私自身、昭和維新の必要性は林と同じくらい思っていたわけですから。(新人物往来社戦史室、1995年 pp.162,163)

池田氏の回想には、躊躇いや迷いが率直に現れています。しかし、自分の友人への信頼から決起に加わったとされています。
当時の将校の立場では、日本をより良いものにするために決起が必要であることは認識されながらも、それを実行することへの決意の固さは人によって差があったようです。

このように、同じ題材に関する史料でもすべてが同様の内容を示しているわけではありません。
自分の仮説を補強するものだけでなく、それに反対するものにも目を配ることが良い卒論を書くためには必要です。

参考文献:
山本又、2015年『二・二六事件蹶起将校 最後の手記』文藝春秋
新人物往来社戦史室、1995年『2・26事件の謎』新人物往来社 pp.162,163

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