虫から考える近代化(1)

2017-05-04

20世紀から現在にかけて、日本社会はめまぐるしく変化してきました。
よりよい社会を実現しようと試行錯誤を重ね、歴史上で類を見ないほどの速度で成長してきました。
エネルギーはより効率的なものへと切り替わりました。
そして、海外との流通、交流も増えました。
我々にとってこの変化は望ましいものであり、たくさんの恩恵を受けています。
しかし、こうしためまぐるしい変容の中でいくつかの問題も経験してきました。
そうした問題の背景や調査、解決への取り組みを振り返ることで豊かな内容の論文を書くことができます。
今回はこうしためまぐるしい近代化によって引き起こされたと思われる害虫問題について考察していきます。

〇事例その一、斑点米カメムシ

「長さ5ミリほどの細長い形、稲の穂が出てくると水田にやってきて、稲の籾の隙間から細い口をさしこんで、成長途上の玄米から汁を吸う。そのあとに、ある種の細菌が繁殖し、黒い斑点が実に残る。この斑点を含む玄米が、収穫した玄米の0.1%より多く含まれると、どんなによく実った米でも一等級から二等級へ格下げになる。」
(昆虫と害虫より)

米を黒くするという問題の原因がこのカメムシにありました。
しかし、発生している真の問題の本質的原因とはなりえません。
なぜなら、変色した米は変色していない米と同様に、食べても問題ないからです。
真の問題はこの厳しい米の検査基準にあります。
この基準が設定されたのは1970年に米の減反政策が始まってからのことです。

戦後、数年日本では米の自給ができませんでした。
しかし50年代から60年代にかけて、早植えや多肥栽培によって米の自給を達成します。一方でパン、牛乳、肉などの食の洋式化によって米の消費量が年々減少しました。
米が余るようになった結果、一部の水田で稲作を制限するようになり、それと同時に、これまでどんな米でも生産量が多ければよいという考えから、良質の米でなければならないという品質指向へと生産者、消費者が変化していきました。

この場合、米の品質は本来、充実度や栄養素などで評価すべきものであろうが、判断の安易さからでしょうか、もっぱら米の外観が重視されるようになりました。
このような経緯で斑点米カメムシは害虫になってしまったのです。

・問題に対するアプローチ

これらのカメムシの発生源は主にイネ科の牧草です。
ここで繁殖した成虫が水田にやってきます。
宮城県古川農業試験場で、水田近くの牧草地を刈り取った場合と、刈り取らなかった場合の斑点米の発生が調べられました。
刈り取った場合は、牧草地から10メートル離れた水田でも斑点米の発生が極めて少なかったのに対し、刈り取らなかった水田では斑点米が多く、100メートル離れていても、一等級の許容限度を超える斑点米が発生しました。
しかも、これらの水田では薬剤散布が2回行われていました。
このため、稲の穂が出る前の七月にカメムシの本拠地の牧草や雑草を一斉に刈り取ることが、カメムシ防除の基本であることがわかった。
しかし、働き手の減少により、現実的にそれがなかなかできないといいます。
結果、労力のかからない無人ヘリコプターによる薬剤散布に頼るという選択に至りました。

けれども、この選択が別の問題を引き起こしていました。
岩手日報に依れば、2005年に岩手県でカメムシへ薬剤散布をした地域に、養蜂家によってミツバチが放たれていました。
ミツバチが薬剤によって巣箱に戻れなくなったのです。
したがって、薬剤散布は妥当な選択とは言えないのです。
 
最も妥当な解決策として色彩判別機の導入が実証されました。
これにより斑点米を取り除くことで、等級の低下を防ぐことができました。
カメムシとの共生の道が一番妥当な解決策でありました。
こうして振り返ると、斑点米カメムシは人が作った害虫であるように思われます。
   
今回の記事では斑点米カメムシを一つの事例として挙げました。
害虫となった経緯は、近代化に伴い米が大量生産できるようになった結果、生産者、消費者ともに高品質志向になったことが大きな原因でした。
しかし、この問題は色彩判別機という技術によって解決の道が開かれたのでした。
次回は松くい虫が引き起こした松枯れ問題の背景について考察していきます。
そして、近代化の中でどのような虫との付き合い方をすればよいのか掘り下げていきます。

参考文献
昆虫と害虫(2013)小山重郎 築地書館

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