北条泰時で卒論は書ける?ー歴史人物を取り扱うときの2つの注意点
「歴史人物を卒論でやりたいけど、マイナーじゃないかな」「どうしても好きな人物なんだけど先生がOKしてくれるのだろうか」あなたも歴史人物で卒論を書こうとしている場合、そもそも先生に認められるのか、はたしてちゃんと卒論になるのか心配になることがあるでしょう。
私たち卒論代行レポラボでは、歴史上の人物に関する論文の執筆実績も年間で10本以上あります。そこで、今日は歴史人物を扱うときの2つの注意点をお伝えしたいと思います。その前に、まずは試しに北条泰時を例にどんな感じで書き出すのか見本をお見せしてから、説明に入ります。
☆書き出しの見本
北条泰時は、鎌倉時代に執権として幕府政治を掌握した人物であり、御成敗式目の制定をはじめとする様々な政治改革で知られている。彼がそうした施策を打ち出すことができた背景には、当時の社会で北条氏がもっていた権力、および承久の乱後の社会状況があった。本論で中心的に論じたいのはそうした時代背景と、北条泰時によって構築された政治体制との関連である。
北条泰時が執権として政治を司ることができた理由の一つとして、彼が父義時と伯母政子によって敷かれたレールに乗ったということが挙げられる。鎌倉幕府は三代将軍実朝亡き後、京都より僅か二才の摂家将軍藤原頼経を迎えたが、頼経が幼少であったため将軍宣下はされず、頼朝の妻であり前将軍の母である政子が、頼経の後見役として鎌倉殿の役割を担うこととなった。しかしながら、実質的に政務を執り行なったのは政子を補佐した弟の義時であり、このとき義時の嫡子である泰時は御家人を統制する侍所の別当に、泰時の異母弟重時は将軍の儀式を掌る小侍所の別当に任じられている。こうした状況の中で、北条一門に権力が集中する体制が構築されつつあった。その結果、承久の乱によって反北条氏勢力を一掃できたことも相まって、この乱の戦後処置として没収した京方の貴族・武士達の所領三千余箇所と、多くの西国守護職を北条氏に与した東国御家人達に恩賞として付与することに成功した。
1 歴史的な位置づけや成功の要因を示す
人物を卒論の題材にする際は、どんな人物か、また、歴史的な位置づけや成功ないし失敗の要因を書き出しで示すと、読み手(指導教官)に意図が伝わりやすくなります。また、指導教官だけでなく卒論審査の際に、他のゼミや研究室の先生にもぱっと読んでわかりやすく、評価を得られやすくなります。どうしても人物を題材にすると、その人に対する思い入れや情がわきます。論文は本来客観的でなければならないものですが、そこにあなたの主観や思いが入りすぎてしまうと、論文じゃなくて小説になってしまいます。でも、情熱がなければそもそも論文なんて書けない。そんなわけで、情熱をうまく盛り込んでいく方法として、あなたが扱おうとしている人物には、「こんな歴史的な位置づけや背景があったんだよ」と示すことで、客観性を持たせることができるようになるのです。
2 政治体制や当時の利害関係者に目を向ける
人物について述べるときは、本人だけでなく、政治体制や権力体勢、そして利害関係者がどうなっていたのかにも目を向けましょう。一番簡単に目を向けれるのは、あなたが扱おうとしている人物の「ライバル」ですよね。いったい誰に勝とうとしていたのか、もしくは、誰が足を引っ張ろうとしていたのか。ライバルは特定の人物だけとは限りません。宗教であったり、特定の派閥や勢力であったり、いろんなものが考えられます。こういったところにも目を向けていくと、字数を稼げるのはもちろん、論文としての客観性や体裁もどんどん整っていきます。
おわりに
今回取り上げた北条泰時の場合、権力基盤や権力の掌握過程をおさえることで、その後の執権就任、執権としての施策を論じやすくなります。あなたも卒論を書いていく中でうまく進んでいくところもあれば、逆に手詰まりになったり、指導教官の指導で前に進まなくなる時があります。
卒論代行レポラボでは、「がんばって書いてみたんだけどうまくいかない」「卒論が手詰まりで少しでもアドバイスが欲しい」といった方のお手伝いもしております。具体的には、資料収集、加筆・添削、発表用原稿の作成などあなたの状況に応じて最適な方法を提案します。また、「どうしても不安だな」といった方にも安心いただけるように面談も行っております。
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