ドラッカー「プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか」レポート感想文
こんばんは。レポート代行レポラボです。今回は卒論や論文ではなく、読書感想文のサンプルを公開します。
「プロフェッショナルの条件」は、5つのパートに分かれているが、それぞれに興味深いことが書いてあり、多くのことを学ぶことができた。本の最初の方では、社会のことについてのドラッカー的な認識がわかった。特に、パート1は産業革命を初めとする数々の歴史上の転換点が挙げられ、世界史の授業のようで読んでいて面白かった。もちろん、面白いだけではなく、いくつかの発見があった。何度にもわたる社会構造の転換によって、昔の社会のことは私にとってもまったくの別世界に感じられた。産業革命前後の昔のことなら当たり前だが、つい数十年前のこともそうだ。よく実感できる例が挙げられていたのだが、初めて出会った人と自己紹介をするとき、「何をしているんですか?」という問いに対し、「○○社で働いています」というよりも、「SEをしています」や、「編集者をしています」という、自分の職業そのもので返すことの方が圧倒的に多い。しかしそれはつい最近の風潮だという。つまり、企業が労働者を支配する時代ではなくなってきており、労働する側が自分の知識をもって働いている、と自覚を持つようになってきているのだ。
そのような時代になっているということについては大いに思い当たることがある。近年は終身雇用をあてにする若者はほとんどいないように感じる。大学を出て就職したばかりの知人の中にも、いずれ数年のうちに起業するという意志を持っている人や、転職を考えている人が何人かいる。つまり、雇用される側が企業の方を必要としているということはあまりなく、きちんとしたビジョンと売り物にする知識を持っている人であれば、準備ができればいつでもお金を稼いで生きていくシステムを作り上げられるということなのだ。働く側の立場が変わったことを示す部分があり、とても印象に残ったので引用する。『歴史上、働く者とは、何を行うか、いかに行うか、いかなる速さで行うかを指示される存在だった。それに対し、知識労働者は事実上、監督されえない存在である。』さらに、すぐ後にこういう一文があった。『その専門について自分よりも詳しく知る者が存在するようでは、価値のない存在である。』これは厳しい言葉だと感じたが、自分の知識をもって稼いでいく労働者の社会という意味では、正しいことを言っていると考えられ、私自身の意識も引き締まった。労働者の側もそうだし、経営者の方でもそうである。
しかし、ただやみくもに物知りでいるだけでは意味のないこともこの本から学んだ。昔は物知りな知識人を尊敬する風潮があったが、今では幅広い知識を持っているのは「趣味」だということが書いてあったのだ。これもよくわかる。例えば、大学に入ってすぐ、公認会計士の資格を取ろうとしている知人がいた。彼は経済学部でもなかったし、将来その資格を活かせるのかどうかもわからない。そうなると、公認会計士の試験勉強は単なる趣味の延長になるだろう。そういう身近な例も思い出し、今、そしてこれからの自分にとって、「何が目的なのか」、そのために「何が必要なのか」をよく見極めて行動することの必要性を強く感じた。この本の後半以降には、経営者の側にも労働者の側にも必要だと思われる、実践的な事柄が多く書いてあった。パート3のタイトルにもなっているが、「自分をマネジメントする」ということである。この本はそこにかなりのページ数が割いてあり、まずはこの部分を参考にしたい。
この本を読んで、何よりも、自分の目的を明確にすることが重要だということを実感した。自分を高めるために闇雲に努力する前に、将来について自分とよく向き合ってみたい。