社会保障が卒論のテーマです。全然進みません
こんにちは。卒論代行レポラボ代表の山川です。
今日は卒論で定番のテーマの一つ、社会保障を取り上げます。
先日お話した税金とも近い分野で、資料は結構集まるし、途中までは順調に書きやすいけど、中盤以降苦戦しがちといった特徴も同じです。
「途中で詰まって先に進まないな」と感じている方は、今日の記事を読むことで、考察や意見を書けるようになり、先に進めるようになります。
社会保障は贅沢品?
社会保障の大半は、医療費や年金を占めます。皆さんも病気やケガで病院のお世話になったことがあるでしょう。年金はまだ受け取るにはだいぶ早いので馴染みはないかと思いますが、おじいちゃんやおばあちゃんとの会話でなんとなく実態を耳にしたことがあるかもしれません。
・病気やケガしたら大変だから、病院はある程度安くて当たり前
・年をとったら働けないんだから、年金があって当たり前
こんな風に思うことはありませんか?
でも、これらの制度が充実している国は、日本のように限られたところしかありません。例えば、アメリカは国民皆保険からほど遠いままです。
「じゃあ日本の社会保障制度はすばらしいんだ!」と言えるかは全く別問題です。
実は、「病院なんてほとんど行ったことがないんだよね」「最後に病院行ったのは3年前かな?」こういった健康的な人も実は結構いるのも事実です。
こういった年に1回病院いくかどうかという人にとっては、社会保険で持っていかれる金額はとんでもないぼったくりになります。
その年に1回の病院代は安くなるとしても、年間で実質負担している何十万~百数十万円と比較すると、全く見合っていません。
つまり、病院のお世話にならない人にとっては、「実費で払った方が絶対安いから、社会保険なんかでお金を持って行かないでよ!」と思いたくなるのです。
また、社会保障のもう一つ年金についても、「子どもや孫が親孝行して助けてくれるから、年金のお世話にならなくても大丈夫」という方たちが少なからず見えるのも事実です。もっとも年金を辞退するわけにもいかないので、もらえるものというか、配られるものは受け取るしかありませんが。
ここまででおわかりなところもあると思いますが、病院のお世話にならない人、年金のお世話にならなくても平気な人。そういった人たちから見て、社会保障は払い損とも言えるくらいの贅沢品という見方もできるのです。
社会保障がない時代はどうしてたの?
今でこそ当たり前に存在する社会保障ですが、昔から当たり前に存在していたわけではありません。
太平洋戦争での敗戦、焼け野原から日本が復興する中で、戦傷者の方や日本の復興に尽くしてきた先人たちに報いる意味合いの中で、ちょっとずつ社会保障が整備されてきたのでした。
この社会保障がないときには、簡単に言うと、お金がなかったり、頼れる家族がいなかったりしたら、あっという間に転落することになりました。
隣近所や地域の助け合いでどうにかしてもらうケースもあったようですが、「人生が簡単に詰んでしまう」という状況でもありました。
「これじゃいくらなんでもいけないよね」そういった国民の意識から、社会保障が手厚くなっていったのです。
社会保障はいつから過剰になってきたの?
こうして現代。SNSや新聞、ニュースでは現役世代の負担が注目されるようになりました。
増え続ける社会保障費で若者が使えるお金が減ってしまった、と。
皆さんも来年から社会人として会社からお給料をもらうことになりますが、社会保険だけで実質3割差し引かれます。
ここまで負担が増えてしまったのは、少子高齢化、人口減少です。
社会保障が整備され始めた頃は、高齢者の人口に占める割合も微々たるものでした。
「高齢者さんたちに贅沢してもらってもいいよね、功労者だし」
こういった合意が無言のうちに取られていたとも解釈できます。
しかし、この贅沢を許される人が次から次へと増えていくと・・・
当然大変なことになります。他人に贅沢をさせるほど余裕のある人なんてそんなにもいるわけがありません。
いつしか社会全体で支えるのが厳しくなっていったのです。
しかも、社会を支える側の人の多くは、先も申したように、「別にそんなに病院いかないんだよね」といった属性です。病院のお世話になって払うよりも、病院のために社会保険で払う額の方がはるかに多いのです。
つまり、社会を支えるためのお金や元手を出している人たちが苦しむようになり、逆に支えられる側の数が多くなり過ぎた。そして、もうそんな贅沢をさせる余裕が社会から消えてしまった。
これが現在の実情です。
皆さんが卒論で社会保障を取り扱う場合、上記のような考え方を頭の片隅に置いておくと、考察を書き上げるときにスムーズに進みます!
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