大学における卒業論文とは~なんで卒論書かなきゃいけないの?
こんにちは!今回より卒業論文について、いくつかブログ記事を書かせていただきます。
早速ですが、そもそも卒業論文とはいったい何のために存在するのでしょうか?なかには卒業論文の提出が必須ではなく、別の教科の単位で埋め合わせをすることができる大学もあると聞いたことがありますが、ほとんどの大学生が通る道ですよね。
私はこの理由としては、大きく分けて二つあると考えます。
一つ目は、大学で学んだことの集大成を「論文」という目に見える形にするためです。
テストの点数という無機質な数字だけで、大学四年間、大学院も行けば更に多くの年数分の集大成を表すというのはあまりにも味気ないものですよね。しかし、「論文」という形になれば、その学生が大学で何を学んできたのか、何を研究してきたのかが一目瞭然になり、より一層の具体性を持つことになります。
また、あなたも、集大成としての卒業論文を完成させることによって「自分は大学でこんな研究をしてきた!」という達成感や満足感を得ることができ、これから社会人として新たなステップを踏む自信にも繋がることでしょう。
二つ目は、論文を書く「過程」そのものを学ぶためです。私はこちらの方が卒業論文の存在理由として大きいのではないかな?と思います。
小学校から高校までの勉強は、授業を通して先生から一方的に知識を得る学習方法がほとんどです。ところが大学の卒業論文はあなたがテーマを決め、それに対応する資料を探し、結論を考え出さなければなりません。今までの学習方法とは正反対なので、つまずいてしまう方が多いのは当然のことなのです。
しかし、この卒業論文を書く過程こそが一番大切なことだと私は思います。100%受け身になって先生の話を聞いているだけでは、確かに知識は増えますがあなた自身の成長には繋がりにくいでしょう。
たくさん試行錯誤しながら、しっかりと自分の頭を使って問題を考え、そして自分なりの答えを導き出せたときにこそ人は成長するのだと思うのです。
ここからは少し脱線してしまいますが、私はこうした「過程」を本格的に学ぶのが大学というのは遅すぎではないか?とも思います。
思い返してみれば、小学校の夏休みの宿題の代表格として自由研究がありますよね。これはまさにこの「過程」を学ぶための効果的な学習方法ですが、それ以降大学までこういった機会がないというのもおかしいとは思いませんか?
中学や高校でも、「受験勉強のための勉強」でなく、自発的に学習するということに力を入れた方が将来の日本の発展に繋がるのではないかな、と私は思います。