ピタゴラ装置の流れの美しさ
皆さんは、幼いころに笹などの葉で船を作り、それを川に浮かべて、遊んだ記憶はないでしょうか。
友達のよりも遠くまで流れていくように工夫したり、流れの激しいところを切り抜けられるかどうか、祈るように追いかけたり。
ものが流れていく様は、不思議と人の興味を惹きつけるものです。
そこで、今回は流れていくものの魅力について調べていきます。
唐突ですが、ピタゴラ装置なるものをご存知でしょうか。
ピタゴラ装置とは、NHKのEテレの番組「ピタゴラスイッチ」に登場するからくり装置のことで、主として身の回りにあるもの(定規、クリップなど)で作られており、そこをビー玉や小さな車が転がってゆく、という形のものが多いです。
最初にきっかけを与えた以降は連鎖的な運動のみで進行し、あるいは転がっていった先で次のものにぶつかって運動が引き継がれる、あるいはそれが留め金になっているものを外すことで次のものの運動が始まる、といったふうに運動が引き継がれます。
流れるように引き継がれる必然的で、自動的な運動は、見ているだけで爽快な気分になります。
そんなピタゴラ装置を監修、作成した佐藤雅彦は、ピタゴラ装置DVDブック巻末で、以下のように述べています。
ある日、意味もなく、ボールが勢いよくレールや板の上を転がって進む映像が浮かび上がりました。
はらはらの連続の中、あれよあれよという間に次から次へと待ち構える難関をくぐり抜け、見事にフィニッシュを決める。
そして、フィニッシュの瞬間は、旗が立ち、サウンドロゴが流れる。しかも、この装置のような映像を番組の間々に入れることで、この番組が何という名前の番組であるかをコールすることが可能だと気づいたのです。
さらにこの映像を入れることで、いままで企画してきたコーナーの羅列による窮屈さをも払拭できる、ということもわかりました。
しかも、番組を観て、この装置を作りたくなった子供やお父さんやおじいちゃんがいたら、道具は身の回りにあるのです。
そこできっと創意と工夫が生まれるはずなのです。
観る人の目を一瞬たりとも離さず、また息をもつかせないほどにするためには、通過不可能と思える難関を見事にくぐり抜け、さらにそれ以上の思いもよらぬ難関が息継ぐ暇もなく登場し、また思いもよらぬ方法で次から次へクリアしていく奇跡のような出来事を撮影しなくてはなりません。
難関の数が多ければ、その確率の積として成功率はどんどん低くなります。
しかし、低い成功率であればあるほど、観ている人たちに感嘆の声を上げさせることができるのです。
テレビでは奇跡的に見えて装置の動きが決して「奇なる跡」なんかではなく「考えた跡」としてみなさんの目に止まってくれればとても幸いに思います。
(ピタゴラ装置DVDブック1巻、巻末より)
現実は不自由です。
想像やCGや漫画と比べたら、その点では、かないようがありません。
ビー玉ひとつでさえ、思うように坂道を転がってくれないのです。
でも、そんな現実を乗り越え、勢いよく、不自由さをものともせず、物が無心につぎつぎ困難を乗り越えていく映像は、想像を凌駕する力にあふれていました。
『現実の不自由さ』に対しての『想像の自由さ』は、自然科学の歴史をみても、芸術表現の歴史をみても、確かに素晴らしいものです。
しかし、その流れをよく見てみると、『想像の自由さ』が本当にその素晴らしさを発揮するのは、思い通りにならない現実からの逃避先が示されているときではなく、『現実の不自由さ』を打破するパラダイムがその中に示されたときだと思います。
(ピタゴラ装置DVDブック2巻巻末より)
現実の不自由さを無視しているかのような縦横無尽な球の運動が、現実に実現されているということが人を惹きつけているようです。
しかし、この装置作成にあたって、成功するまで途方もないほどの失敗を繰り返していることが、このDVDを見るとわかります。
装置完成前の思い通りにいかなくとも、ちょっとした位置を修正することで、上手くいくかもしれない、そうした期待や、完成後の玉が難所を難なく切り抜けるさまなど、流れる装置が人を惹きつける要因は複合的であるように考えられます。