茶文化で卒論を書ける?①
日本の生活に深く根を下ろしている茶文化ですが、その由来は中国にあります。
それではいつ、どのようにしてその文化が日本に伝来し、定着していったのでしょうか。
このような文化史に関連したテーマで卒論を書くときは着眼点の設定に頭を悩ませるものです。
まずは時系列に沿って流れを整理してみたいと思います。
茶文化の成立
飲茶の習慣は中国の雲南地方で始まったと言われています。
そこから、雲南と接するタイ北部や、その西のビルマ、インドへと広まっていきました。
これらの地域の先住民は茶の葉を食べる文化を有していたとされ、それが徐々に東へと移動して中国の中心部に茶文化が広がっていきました。
中国において史料上で確認できる飲茶の歴史は前漢の時代が最初です。
そこから三国時代の呉、西晋、東晋において茶が飲まれ続け、南北朝期には茶の生産地である南朝での飲茶の習慣が確認されています。
その後、唐代になると飲茶が幅広い層の人々の日常へと普及していき、8世紀前半には山東地方から長安にいたるまで飲茶が広まっていました。
8世紀中頃には唐代の具体的な茶の知識を記した陸羽『茶経』が成立しています。
これは、製茶法や茶器などの記述があり、唐代における茶の実態を後世へと伝えています。
中国では、茶は嗜好品としてのみではなく薬用の意味でも用いられていました。
茶が広く普及するに伴って、下層の人々の間では入手困難な薬の代替として草木類の仙薬が脚光を浴びており、それは茶の仙薬化と軌を一にしていました。
茶は仙薬と結び付けられたことで、中国において実生活上の意味だけでなく精神的においても重視されるようになっていきました。
宋代には中国の茶思想が一層発展し、多くの茶書や高度な品茶論が現れました。
そうした潮流の中で、中国では茶の薬物としての役割が徐々に薄くなり、南宋から明初にかけて茶の即物性への研究が中国茶文化の主軸となっていきました。
日本への伝来
以上のようにして中国で形成された茶文化は、中国と周辺地域との交流の中でしだいに広く伝播していきました。
具体的には、日本・琉球・朝鮮・中国・ベトナムは、中国から茶飲の習慣が伝播・定着した地域であり、現在でもその習慣が維持されています。
さらに、それらの地域は茶飲の習慣のみではなく、茶木の栽培や茶飲をめぐる類似した歴史・文化背景をも持っています。
日本に最初に本格的に茶が伝来したのは、唐に渡った日本の留学僧が茶の種子を持ち帰ったことによるものでした。
そのため、茶が日本に入った時期は平安時代ということになります。
実際に『日本後紀』の中で嵯峨天皇が茶を飲用したとの記載があり、この時の茶を献上したのは805年に唐から帰朝した永忠であったとされています。
しかしながら、そうした茶の文化は平安時代前期頃におよそ半世紀にわたって途絶えています。
徐(2011)では、その理由として次の四つが挙げられています。
・茶文化が伝来してから長く経たないうちに、日中両国の聞で政府間・民間ともに大規模の往来がなくなったこと
・茶文化が伝来してから半世紀間にわたって、それが普及した範囲は王侯貴族のレベルと都周辺の一部の寺院に留まっていたこと
・茶文化を受けた上流貴族や僧侶たちが茶を日常の飲み物としてではなく、一種の風雅な趣として楽しんでおり生活との融合を図ろうとはしなかったこと
・唐代の製茶工程が煩雑であったこと
おすすめ参考文献
大森正司、1998年「日本人と茶」『日本調理科学会誌』31(3)
徐静波、2011年「中国におけるお茶文化の展開とその日本への初期伝来」『京都大学生涯教育学・図書館情報学研究』10
鈴木実佳、2012年「商品と日常生活文化の受容と流入への警戒 : 18世紀の茶」『人文論集』62(2)
曹晨、2007年「食文化の比較研究-中国と日本の場合-」『地域政策研究』9(4)
楊華・大内章、2004年「中国の茶思想から日本茶道へ」『武蔵野学院大学日本総合研究所研究紀要』1